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東京地方裁判所 昭和42年(合わ)339号 判決 1967年12月28日

被告人 横井利男 外三名

主文

被告人横井利男を懲役一五年に、

被告人倉持武一を懲役一〇年に、

被告人中田一美及び被告人中田守を各懲役五年以上八年以下に、それぞれ処する。

被告人らに対し、未決勾留日数中各八〇日を、それぞれその刑に算入する。

押収してある黒手提金庫一個(昭和四二年押第一、四八九号の八)及び金具二個(同押号の一二)は、被害者龍王建設株式会社に、黒色ハンドバツグ一個(同押号の一〇)及び白木綿布切れ二枚(同押号の一一)は、被害者長谷川末亀に、それぞれ還付する。

理由

(被告人らの略歴)

被告人横井は、北海道で出生後、一年余りで生母と別れ、飯場で働いていた夫婦の養子として育てられ、その後、岩内郡の児童養護施設岩内厚生園に入れられ、中学校を卒業し、時計店店員を振り出しに、転々と職を変え、昭和三八年に上京した。この後も職は定まらず、東京都渋谷区内の内田パチンコ店で働いていた頃、被告人倉持と知り合い、同人の紹介で、同四〇年一〇月頃から長野県内の寿商店で働くようになつたが、同店の商品等を持ち逃げしたりしたため、服役し、同四二年六月二〇日仮釈放となつてから、東京都調布市の植木職秋輪栄一方で住み込みで働いていた。

被告人倉持は、会社員の長男として生まれ、同三八年三月都内の高等学校を卒業後、渋谷区内のバーのバーテンなどをして働き、同四二年二月から目黒区駒場町の肩書住居地で内妻(二九才、喫茶店のウエイトレス)と同棲し、同年七月二〇日頃、渋谷区大和田町のカクテルコーナー「ブルボン」のコツク長をやめて以来徒食していた。

被告人中田一美は、現在少年であつて、同三九年三月本籍地の中学校を卒業後上京し、プレス工として就職する傍ら、同年四月工業高等学校に入学したが、同年一〇月中退し、運転助手や喫茶店のボーイなどをして働き、同四二年七月中旬から約半月程、目黒区碑文谷の龍王建設株式会社の土工として働いたが、八月上旬頃からは定職もなく、友人の部屋に寝泊りしていた。

被告人中田守は、現在少年であつて、同一美と同時に同じ中学校を卒業し、上京して洋服店の見習いとして住み込みで働くようになつたが、六ケ月程でやめ、その後職を次々と変え、東京と千葉を行き来し、同四二年六月従弟の中田洋の紹介で、前に働いたことのある前記「ブルボン」でバーテン見習として働き、この間被告人倉持と知り合い、同年七月下旬同店をやめ、行く所がなく一時同人方に泊り込んだりしたのち、同年八月六日頃からは同人の紹介で、目黒区内のキヤバレー「オーシヤン」で働いていた。

(罪となるべき事実)

第一、被告人らの強盗致死

一、犯行に至る経緯

被告人倉持は、同四二年八月五日頃、同横井の出所を知り、その後同人と会い、同月一五日に同人は同倉持に誘われるまま、これといつて不服もなかつた秋輪方を飛び出し、同倉持方に泊り込むようになつた。当時徒食中で金銭に困つていた被告人倉持の話をきつかけとして、同横井は事情を知つている吉祥寺のパチンコ店大東会館の売り上げ金を社長宅に届ける集金車を襲つてその金を奪う案を出した。両名で話し合つた末、同月一六日夜、被告人倉持方で右の案を実行することに決め、同人が同横井の求めで資金と人手を集めることになつた。

そこで翌一七日及び一八日に、被告人倉持は、金銭を欲していた同守や、同人の友人の同一美、さらに同倉持の高校時代の友人の多沢功二をも誘い、同月一九日午前一時半頃、東京都世田谷区若林四丁目三一番六号の津田哲方に行つた。同所で、被告人倉持が中心となり、右五名で、ノート用紙(昭和四二年押第一、四八九号の一六)に略図を書いたりしながら、右集金車襲撃の方法、奪つた金員の分配方法等について相談し、細部にわたる具体的方法についてはまとまらなかつたが、同日夜、被告人横井、同倉持及び同一美の三人で下調べをしたのち、人通りも少なく売上金も多いであろう日曜日の二〇日に決行すること、同倉持は自宅に残りアリバイ工作をすることなどを決めた。しかし、同月一九日は、下調べをするのに必要な金もなく、そのままでも大丈夫だろうということで、下調べは中止された。

同月二〇日午後、多沢は姿を見せなかつたので、被告人ら四名で決行することになり、同一美が若干の金を作つたほか、同倉持が、内妻の着物等を入質して金を作り、タクシーで現場から逃げる際、代金の支払いに手間取つたりしないようにするため、金を細かくくずして、同横井らに渡した。同日午後八時頃、渋谷で、被告人倉持は同横井ら三名と別れて自宅に戻り、若干のアリバイ工作を試みた。一方被告人横井ら三名は、同日午後九時過ぎようやく三鷹市下連雀六六番地の大東会館社長郭火盛方を探しあて、しばらくの間その周辺の様子を窺つたりしていたが、予想外に大きな邸宅で、用心棒のような者が居るように思われ、おりからの雨も手伝つて三人ではとても実行出来ない気分になり、一旦引き上げることにし、吉祥寺駅近くの喫茶店「田園」に入つた。同所で、被告人横井が、同倉持に対する手前、このまま引き返すわけにもいかないなどと話したところ、同一美が、前記龍王建設の女社長が一人住いであること、同女は五〇か六〇の婆さんで、夜は一人で寝て、一〇万円位入つている金庫をいつも寝ている部屋においているから、これを持ち出せばよい旨話した。被告人横井は、それはいい話だ、その金で、大東会館襲撃の資金を作ろうなどと言い、この話を持ち帰り、同倉持と相談のうえ、実行しようということになつた。

同日午後一一時頃、被告人横井は同倉持方に行き、同人に右の経過を話し、龍王建設の社長方をやろうかと思うがどうだろうかと相談し、覆面用のストツキングと軍手を貸してくれるよう依頼した。

二、罪となる事実

西瓜と女性用ストツキング一本を持つて来た被告人倉持と同横井、同一美及同守は、同月二〇日午後一一時過ぎ頃、同倉持方近くの電波研究所内の鉄棒付近に集まつた。同所において、被告人一美が地面に見取図を書いたりしながら右社長方の様子を説明し、同倉持は、分らないように持ち出すのが一番よいが、社長を起してナイフを突きつけ、あるいは気付かれたときは同女を縛つて脅し、金庫のあけ方を言わせて中味を取つてきたらどうかと述べ、金庫のあけ方を教えたりした。被告人横井は、そのようにうまくはゆかない、気付かれたり、最悪の場合は、同女を縛つてさるぐつわをかませあるいは同女を叩いて一時気を失わせて金庫を持つて来ようなどと述べるなど、約二、三〇分にわたつて相談した。結局、社長方に忍び込んで金庫を持ち出すが、同女に気づかれた場合には、同女を縛りあげたり、殴打して気を失わせてでも金庫を持ち出し、その後は、被告人倉持方に戻つて来ることになつた。また前記大東会館の場合と同様、被告人倉持は現場に行かず、自宅でアリバイ工作をすることも了解された。

そこで、被告人横井ら三名は、同倉持から内妻のナイロン製シームレスのストツキング三本(前同押号の九、一五)及び軍手一双(同押号の一四)を借り受け、同倉持の「気をつけて行つて来いよ。」との言葉に送られて、渋谷に向い、途中、前記「ブラジル」に寄り、具体的な役割の分担を相談したりして、東京都目黒区碑文谷二丁目一番二二号の前記龍王建設社長長谷川末亀(当五七年)方に行つた。右被告人ら三名は同月二一日午前二時頃、右長谷川方裏の勝手口から入り、奥の西側六畳間の社長が寝ている筈の部屋の様子を窺つた。目をさましているように思われたので、被告人横井は、他の者に一気にやろうと言つて同室入口付近に掛けてあつたタオル(同押号の五のうちの一枚)を取り、同一美は、台所からステンレス製の庖丁一丁(同押号の六)を手に持ち、同横井を先頭に右室内に飛び込んだ。偶々その夜同室に一人で寝ていた右末亀の母長谷川亀治(当時八九年)が起き上ろうとしたところを、被告人横井が背後から同女を抱きかかえるようにして同女の口に前記タオルを四つ折りにして押しあて同女を押し倒した。被告人横井の手をふりほどこうとして激しく抵抗する同女を静かにさせるため、同被告人は手拳で同女の胸腹部を数回にわたつて殴りつけた。また同被告人の指示で、主として被告人一美が同守と共にタオル(同押号の五の残りの一枚)や室内にあつた前掛け(同押号の一)で同女の両手を、同じくワンピース(同押号の三)や布紐(同押号の二)で同女の両足を縛り、さらに被告人横井が、右前掛けの紐で同女の口の付近を縛つてさるぐつわをかませたうえ、同被告人と被告人一美の二人で同女を押入れの中に入れ、上からふとんをかぶせて押入れを閉めた。被告人守は、このようにして同女が完全に抵抗を抑圧されている間に、同室内にあつた黒手提金庫一個(同押号の八)及び黒色合成皮革のハンドバツグ(同押号の一〇)を持出した。右のようにして、被告人らは、龍王建設株式会社所有の右手提金庫一個(同社所有の現金約二、三七〇円、一五円切手一枚、約束手形二通その他書類数点並びに長谷川末亀所有の印鑑二個、預金通帳四通、その他書類等四点在中)及び長谷川末亀所有の右ハンドバツグ(現金約三、六〇〇円、婦人用腕時計、財布、蟇口各一個、白木綿布切れ二枚(同押号の一一)及び白ハンカチ、書類等数点在中)を強取し、被告人らの前記暴行により、間もなく同所において、右長谷川亀治を鼻口閉塞及び胸部圧迫に基く窒息により死亡させるにいたつた。

なお、被告人一美及び同守は犯行後官に発覚前に自首したものである。

第二、被告人守の窃盗

被告人守は、引き続き同日午前二時過ぎ頃、前記長谷川末亀方敷地内の人夫小屋において、前記強取に係る金庫を包んで持ち運ぶ目的で、前記龍王建設株式会社人夫藤波駿所有のポロシヤツ一枚を窃取した。

第三、被告人守の強姦

被告人守は、従弟の中田洋(一七才)、予ねて知り合いの浪川智晟(二一才位)及びその友人の島田清(二一才位)と、同四二年八月一三日午後六時頃、千葉県旭市内で、右浪川運転の普通乗用自動車(日産セドリツク、千五は二一-四四号)に、予ねて知り合いの小川A子(当一七年、バス車掌)を送つてやるからと申し欺いて同乗させ、同市飯岡町の飯岡灯台付近に連れてゆき、同所で順次同女と肉体関係を結ぼうとしたが、同女にはねつけられ、やむなく、同日午後八時頃、もと来た道を戻り始めたが、途中で島田や洋は無理にでも同女と関係しようと考え、島田が、後部座席に坐つていた同女の両手首を掴え、同女をシートの背に押えつけ、洋も抵抗する同女のズボンを脱がせにかかつた。そこで被告人守及び智晟もその意を察知し、右四名互いに意思を通じて強いて同女を姦淫しようと企て、島田と洋の両名及び被告人守が、同女のズボン等を強引に脱がせにかかり、智晟は同県旭市東足洗字仙蔵一、八一六番地の人通りのない農道内に右車を乗り入れ停車させた。その間抵抗する同女に対し、島田が「ひどい目にあわすぞ。」などと怒鳴りつけ、平手で同女の頬を二回強く殴打する等交々同女に暴行を加え、その反抗を抑圧したうえ、同車後部座席において、洋、島田、被告人守において順次同女を強いて姦淫した。

(証拠の標目)<省略>

(弁護人らの主張に対する判断等)

一、長谷川方の件に関しては、被告人倉持は、事前の共謀の内容は窃盗であつた旨、また同人の弁護人は、同旨及びかりに同被告人が本件強盗致死に関係があるとしても、実行行為に加わつておらず、従犯に過ぎない旨主張する。

(一)  前掲の諸証拠を総合すれば、本件犯行に至る経緯及び犯行状況は判示のとおりと認められる。即ち、右被告人が当公判廷で述べるような、電波研究所における被告人ら四名の相談が、単に忍び込んで金庫を持出すことで、その際偶々縛つたり、叩いたりする話が出たというのに過ぎないものではないことは、同被告人自身、いずれも任意性について疑うべき特段の事情は無いと認められる前掲各供述調書中で述べており、また、前掲の他の被告人の当公判廷における各供述及び各供述調書によつても明らかであり、強盗の相談がまとまつていたものと認めざるをえない。

(二)  前掲の各証拠を総合すれば、被告人倉持は従前から同横井や同守の面倒を見るなど四名の中では年長で兄貴分の立場にあつたこと、被告人倉持の参加した大東会館の集金車襲撃計画(これは明らかに強盗の計画である。)は、現場の下調べがなされていなかつたから方法の詳細までは決まらなかつたしても、大筋においてまとまつており、人手を集めるなど同人が終始中心となつて推進してきたものであること、右計画は実現しなかかつたが、少くとも現場付近まで行つて、三名は、全くあきらめたわけではなく、その日は中止し、資金を得て十分下調べをしてから実行しようと考え、被告人倉持に相談に戻つていること、同人が反対したならば、他の者はあえて右長谷川方について実行しなかつたであろうこと、電波研究所での相談の際、同被告人は、「ヤバイのじやないか。」とか自分の家をやつたらどうかなどと述べて、多少の不安と一時のちゆうちよを示してはいるものの、自らも金銭を欲しており、犯行の具体的方法等についてもかなり口をさしはさみ、指紋に気をつけろなどと細かい点まで注意し、結局最後まで、他の三名の実行を止めようとする積極的態度はみられないこと(同被告人は、被告人守を引張り込んだ手前、止めるように言えなかつた旨述べているが、反面真実その意思があるなら最も強く中止をさせることが出来た筈と考えられる。)、同人方に行き、顔を知られている被告人一美以外の者のためにもストツキング等を渡しており、三人が出かけるとき、気をつけて行つて来るようにと励ましていること等からも、結局のところ、三名が実行行為をし、被告人倉持は現場に行かないでアリバイ工作をすることに相互暗黙の了解ができ(但し、同被告人の内妻が病気で早退し寝ていたため、アリバイ工作らしいことは行なわなかつた。)、犯行後は同被告人方に再び集まることになつていたこと、被告人横井ら三名は、「ブラジル」等でも具体的な実行行為の分担等について相談してはいるが、同横井が、社長にふとんをかぶせて押さえつけると言つた程度で新規な話し合いはなく、大筋において右電波研究所付近における謀議の内容に変動はなかつたこと、実行行為もほぼ四人で話し合つた線に沿つてなされていること、犯行後予定通り三名は被告人倉持方に引き上げ、同人はうまくいつたなと内心喜びながら(被告人一美は当公判廷で、右倉持方において同倉持が同横井に「さすがは何とかのあれだなあ。」というようなことを言つたと述べている。)、積極的に中心となつて金庫をこじあけ、中味を調べ、金員を分配し、発覚の端緒になりやすいものの処分は見合わせるようにし、同日のテレビニユースで右犯行についての報道があると、直ちに被告人一美の犯行時着用の靴を処分するなど、証拠隠滅工作をしていること等の諸事実が認められる。

このように、被告人倉持は、当初大東会館の集金車襲撃の件については同横井とともに自らこれを計画し、自己の兄貴分的立場から実行行為者を集め、資金を用意し、行為の分担を協議し、分配金を取り決める等、強盗の意思の形成及び推進に中心的重要な役割を演じたこと、長谷川方の件はこれと一応別個ではあるが、集金車襲撃計画の発展推移として遂行されたものであり、自らも被告人横井らの実行行為を通じて、自己の犯意を実現し、分配金に与かる意図をもつて相談に加わり、種々の意見を述べ、注意を与えるなど、引き続き犯罪の実行に準ずる指導的な役割を果し、犯人相互の結節点となつて、他の者に方向づけを与え、しかも強盗手段となる用具を供与し、連絡場所として自宅を提供し、同横井ら実行行為者にアリバイ工作を期待させ、行為後は自ら中心となつて強取金員の分配を行う等本件一連の事実を全体としてみるときは、まさに共謀共同正犯であつて、単なる幇助犯や事後従犯にとどまるものではないと認めざるをえない。

二、なお、一般に結果的加重犯については、予見しなかつた結果について、予見可能性ないし過失は必ずしも必要ではないとされているが、その当否はしばらくおき、少くとも実行行為に直接関与しない共謀共同正犯者については、共謀の具体的内容から予見可能性すらないような結果についてまでその責任を負わせることは、責任主義の原則からきわめて不当な結果を招来することがありうるから、共謀共同正犯者に結果的加重犯の責任を負荷させる限度は共謀の具体的内容から予見可能な範囲に限られるべきものと解すべきところ、本件については、判示のような具体的な共謀内容が認められる以上、たとえ、被告人横井らが社長と同女の老母とを間違えた事実があつたことを考慮しても、判示共謀の具体的内容から、本件死の結果の発生は、客観的に予見可能であつたと認めざるをえない。従つて被告人倉持は強盗致死罪の責任を免れることはできないものというべきである。

三、判示第二の被告人守のポロシヤツの窃盗については、判示第一の強盗致死の犯行の機会に判示の目的で行われたもので、時間的に近接し、場所的にも、同じ長谷川方の敷地内の人夫小屋で行なわれたもので、所有者は異なるが、右小屋については、相互補完的に社長長谷川末亀の管理も及んでいると認められないわけではなく、ただ他の被告人は全く関知していないのであるから、被告人守について窃盗の単独犯が成立し、同被告人の判示強盗致死の犯行と右窃盗とは接続犯として包括して評価されるべきものと解する。

(法令の適用)

被告人横井、同倉持及び同一美の判示第一の各所為はそれぞれ刑法六〇条、二四〇条後段に、被告人守の判示第一及び第二の各所為は包括して同法二四〇条後段(判示第一の所為についてはなお同法六〇条)に、同人の判示第三の所為は同法六〇条、一七七条前段にそれぞれ該当するところ、被告人らの強盗致死罪について所定刑中それぞれ無期懲役刑を選択し、被告人一美及び同守の各強盗致死罪についてはいずれも自首したものであるから、それぞれ同法四二条一項、六八条二号により法律上の減軽をし、被告人守の各罪は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により重い強盗致死罪の刑に、同法一四条の制限内で法定の加重をし、被告人横井及び同倉持については犯情により同法六六条、七一条、六八条二号を適用して酌量減軽をし、被告人らについて、それぞれ所定刑期の範囲内で後記情状を考慮のうえ、なお被告人一美及び同守はいずれも少年法二条一項所定の少年であるから、それぞれ同法五二条一項、二項を適用し、被告人横井を懲役一五年に、同倉持を懲役一〇年に、同一美及び同守を各懲役五年以上八年以下にそれぞれ処し、刑法二一条により、各未決勾留日数中いずれも八〇日をそれぞれ右の刑に算入し、いずれも判示第一の強盗致死罪の賍物で被害者に還付すべき理由が明らかな、押収してある黒手提金庫一個(昭和四二年押第一、四八九号の八)及び金具二個(同押号の一二)は被害者龍王建設株式会社に、同じく黒ハンドバツク一個(同押号の一〇)及び白木綿布切れ二枚(同押号の一一)は被害者長谷川末亀にそれぞれ刑事訴訟法三四七条一項により還付し、訴訟費用(被告人横井の国選弁護費用)については、同法一八一条一項但書を適用して被告人横井に負担させないこととする。

(量刑の事情)

本件強盗致死の犯行は、判示のようにしてなされ、大東会館の集金車襲撃計画に端を発しながら、きつかけは多分に偶然的なところもあるが、犯行自体はきわめて計画的であり、犯行態様もきわめて執拗で、その結果もまことに重大である。被害者の苦痛、同女の肉親に与えた衝撃は勿論のこと社会的な影響をも考えるとき、その犯情きわめて悪質であるといわざるをえない。自己の欲求を満足するため他人を顧みず、直線的行動に走るのは、被告人らの平素の安易な生活態度に起因するところが大きい。

反面、偶然、当日末亀が仕事の疲れから別室で熟睡し気付かず、被告人らも被害者と末亀を取り違えており、八九才にもなる老女とは思つてもいなかつたこと、末亀方の戸締りが完全になされていなかつたことは、被告人らにとつても不幸であつたともいえなくはない。

被告人横井については、大東会館の件を持ち出し、長谷川方でも、最も積極的に重大な結果を発生させる行動をしており、直接的な責任は重い。またこれまで、横領及び窃盗で懲役一年四月に処せられ服役して仮釈放後間もなくのことであり、少年時代度々家庭裁判所に送られ、中等少年院に送致されたこともあること、表面上の従順さとうらはらに、やや自棄的なところも窺われるなど、強い意思をもつて更生しようとする意欲が乏しいように思われる。

しかしながら、その生育歴、家庭環境には同情すべき点があり、本年六月出所後も秋輪方で、新しい生活を始めまじめに働いていたところへ、被告人倉持の誘いがつまずきの石となつてもろくも以前と同じような生活態度に戻つてしまつたようである。また法律上の自首にはあたらないが、山田忠雄に伴われて警察に出頭し、本件について反省していることも窺われ、秋輪方での生活ぶり等に徴すると改善更生の余地もなお残されているものと認められる。

被告人倉持については、最年長で比較的恵まれた家庭に育ち、高校教育も受けておりながら、まじめな職業につくことなく、他の被告人らを引き込み、本件犯行に至らせた点の責任はきわめて大きい。自らは現場にも行かず手を汚さず、危険を免れ犯行発覚を知つてからも、自らの責任を免れようと罪証隠滅工作をしたり、自分のことだけは隠し通すように他の者に頼むなど、気の弱さの露呈ともいいうるが、そのずるさも否定できない。重大な結果の発生について予見していなかつたこと、直接の実行行為に加わつていないこと、深く反省後悔していること、前科前歴もないこと、母親が被害者方に謝罪に行つていること等有利な事情を汲んでも、その責任はなお重いといわなければならない。

被告人一美については、本件犯行の直接的な端緒を与えた点、実行行為においても、被告人横井に指図されたとはいえ、被害者の手足を縛るなど犯情決して軽くない。ただ、全体としては、本件犯行に引き込まれたとみられること、自首していることからも窺えるように遅ればせながらも自らの軽率さ、行動を反省していること、将来はまじめに働く旨述べており、未だ少年で、前科前歴もなく、両親らが、被害者方に謝罪に行つていること等有利な事情もある。

被告人守については、強盗致死に関しては被害者死亡の直接の原因は与えてはいないが、賍品を運び出すなどかなり重要な役割を果しており、また強姦罪に関しては、四人で人里離れた場所に車で連れ出し、被害者の強い抵抗を排除し、被告人守を含め三人で次から次へと犯している点犯情は重い。以前に家庭裁判所で四回審判不開始となつていることも問題である。しかし、被告人一美同様他の者に引きずり込まれたとみられること、反省悔悟し、自首していること、未だ年も若く、親の方でも人を介して被害者方に謝罪しようとしていること等汲むべき事情もある。

以上のような諸般の情状をそれぞれ考慮のうえ、被告人らにつき各々主文のとおり量刑した。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 寺尾正二 小川喜久夫 龍岡資晃)

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